歴史

大恐慌前の不正への反省

1920年代のアメリカは、第1次大戦で疲弊した英国に代わり、世界の指導国になった。フロリダの土地投機にはじまって、マンハッタンの地価狂騰、ニューヨーク株の暴騰につながる巨大な「バブル経済」にのみ込まれた。

株価暴落

しかし、バブルの膨張、崩壊の過程で、数々の不正が行われた。バブルが崩壊し、大恐慌になると、不正が次々と発覚した。それをを受けて、SEC(Securities and Exchange Commission)設立につながった。

ケネディ大統領の父親が初代委員長

初代委員長は故ケネディ大統領の父、ジョセフ・ケネディである。フランクリン・ルーズベルト大統領から任命された。

1940年、1950年代のSECの活動は活発ではなかった。だが、1960年に登場したケネディ政権下で活動が盛んになった。

レーガン政権

規制緩和を強調したレーガン政権のもとで、1980年代の米国は規制関係機関の多くが沈滞状態に陥った。しかし、SECはインサイダー取引問題の表面化などで、むしろ活動を強化した。

ウォール街最大のインサイダー事件

SECが摘発した事件としてもっとも有名なものは、1986年11月に公表されたボウスキー事件と呼ばれるウォール街最大のインサイダー(内部者)取引。

ボウスキー事件とは

金融業者で投資家でもあるアイバン・ボウスキーが企業合併・買収に関する未公開の内部情報をもとに巨額の利益を上げていた事件だ。

ボウスキーは5000万ドルの利益返還と同額の民事制裁金を払い、刑事裁判で3年間の拘禁刑を宣告された。これはボウスキーがSECに協力して制裁を軽くしてもらった結果だ。

ミルケン禁固10年

ボウスキーが提供した情報をもとにSECはその後、インサイダー取引と株価操作、詐欺などの容疑でドレクセル証券のジャンク・ボンド部門の責任者マイケル・ミルケンを連邦地裁に起訴した。ミルケンは約6億ドルの罰金を払ったうえに1990年11月、禁固10年の判決を受けた。

実績

<米SECが摘発した主な事件>
概要
1975年10月 大手航空機メーカー、ロッキード社が、販売拡大のため行った外国政府要人などへの支払いを正しく記帳していなかったとして、資料提出を求め提訴。ロッキード社が提出した資料で、日本の政治家のかかわりが明らかに。ロッキード社には、関税法違反などで罰金64万7000ドルの判決。
1978年12月~
1979年1月
マクドネル・ダグラス社、グラマン社などを、外国政府高官などに不正な支払いをしていた、として相次いで告発。
1984年5月 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者が、自分が書く株式コラムの記事の内容を証券業者に事前に教え、それに基づく株取引で不正利益を上げていたとして、記者と証券業者ら計5人を摘発。5人とも不正利益の返還などに応じSECと和解。記者には禁固1年6月の判決。
1986年5月> 大手証券ドレクセル・バーナム・ランベール社の幹部社員デニス・レビンが、未公開情報に基づいて株取引を行い、1260万ドル以上の不正利益を上げていた、として摘発。レビンは不正利益返還などの処分に応じ、禁固2年の判決を受けた。
1986年11月 大物投資家アイバン・ボウスキーが、先に摘発されたレビンから企業合併などの未公開情報を入手し株売買で5000万ドル以上の利益を上げていた、として摘発。ボウスキーは不正利益の返還と制裁金で計1億ドルを支払うことに同意。禁固3年の判決を受けた。
1988年6月 大手証券モルガン・スタンレー社のM&A(企業の合併・買収)部門のアナリスト、ステファン・ワンと、ワンから未公開情報を受け取り、株で1900万ドル以上の利益を上げていた台湾籍のフレッド・リーをインサイダー取引の疑いで摘発。ワンは12万5000 ドルの資産没収。リーは不正利益返還と制裁金計2500万ドルを支払った。
1988年9月 ドレクセル社とその関連企業、ドレクセル社のジャンク・ボンド部門責任者 マイケル・ミルケンらが、先に摘発されたボウスキーと密約を結び、ボウスキーがやったように見せかけて、インサイダー取引、株価操作、ディスクロージャー違反などの行為を繰り返し、不正な利益を上げていた、として摘発。ドレクセルは有罪を認め、6億5000万ドルを払うことで和解した後倒産。ミルケンも6億ドルの支払いを認めたうえ、禁固10年の判決を受けた。
1990年6月 富士銀行の米現地法人の日本人社員とその妻が、富士銀行の絡んだ企業買収の未公開情報を悪用して株のインサイダー取引を行ったとして摘発。夫妻は民事制裁金など9万9700ドルを支払った。日系企業の絡む企業買収で日本人が摘発された初のケース。